前回書いた、マスコミの無責任な態度は、何も政治向きの話題に限った事でない。
久間事件からは脱線するが、前回に引用した、{毎日新聞2007/06/03の「時代の風」:五百旗頭真、毎日新聞2007/07/11の「記者の目」欄:横田信行}、の2編の記事を読んでいて、ふと思い出した事があるので、紹介する。
いい加減な事を言っておいて、後から、自分が間違っていた事が分った時に、「ごめんなさい」は言わずに、放置してしまう、一つの例である。
社民党は、北朝鮮自身が拉致の存在を認めて後も尚、その様な事実は無かったと、党の機関紙で主張していたことが非難を浴びたが、その後も遂に、この件で世間に向けて、訂正とか謝罪とかしないままに、今日まで至っている。
しかし、これは、社会党だけのお家芸ではなく、マスコミもいつも同じ手を使う。
結局、日本人に国民性として忘れっぽくて、西欧の国々の様に執念深くないのを承知しているから、「人の噂も65日で忘れる」、のを待っているのだろう。
我々仲間のブログで、よく引用する湯川博士の言葉、『執念深いことが、科学者たる事の必要条件』を、
逆に見ると、日本で自然科学が生まれなかったのは、この様な国民性による必然だったのだろう。
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このマスコミ方式の事例の一つを、取り上げる。
佐久間ブログ{★伝統文化と常識の変遷(1) :の言う様に、
{時間が経ち、世間の常識が変化した後では『当然』のことが、或る時点では『非常識』に見える、・ ・ ・のは普通にある}、
のであるから、その事柄自身の議論を蒸し返す、というのではない。
自分が火をつけた話題が、間違っていたと、過ちに気が付いた時に「ごめんなさい」を言わない一例として、この古い話を出すのである。
久間発言事件でも、同様な経過を辿るかもしれない。
何年か後に、それが誰の眼にも明らかになった場合に、私が、このことを言っていたと、若い読者に、思い出して頂きたいのである。
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新聞流儀の一例として思い出したのは、
「大学教授の特許取得問題」、 である。
今は、大学教授が研究に励んで、特許をとるのが望ましいと考えられていて、逆に、それをしない教授はサボっているか、無能の様に思われる。
以前は、そうでなかった。
「大學教官が特許を取得するのを非難」、する新聞記事が、
何度か、A新聞の紙面に、現われた。
ところが毎回、その非難は紙面で永続しないのである。
その話題が問題として取り上げられると、同調者と反論者が現われる。
暫くすったもんだを繰返していると、やがて議論は何時の間にか静まり、忘れ去られる。
ところが10年ほどすると、また同じ問題が取り上げられて、前回と同様の議論が蒸し返され、やがてまた暫くすると、沈静化する。
これが私の記憶するだけでも、3回はあった。
必要ならば、資料が保存してある筈だから探し出すが、今直ちに手許にはないので、記憶だけで言うと、1960年頃、1970年頃、1980年頃、に夫々有ったように記憶する。
此処で問題は、何故毎回議論が沈静化したか、である。
社会が、その議論に飽きたからではない。
議論を深める過程で、言い出しっぺの新聞記者が、自分の誤りに気が付くのである。
そこで、彼は「御免なさい」、は言わずに、議論を止めて、世間に問題を忘れさせるのである。
10年もすると、前回のことを知らない別の記者が、同じことを始める。
不勉強な新聞記者が何を問題にしたかというと、
国立大学の教官は研究をするのが仕事であり、そのための設備を国に依って用意され、俸給を貰って仕事をしている。
そこでの公務の成果、として出てきた研究結果やアイデアに依って、私的に特許を獲得するのはオカシイ、という一見、尤もな主張である。
彼は大変良い話題に気が付いたと思い、鬼の首でもとった気分で居丈高な記事を書く。
分り易い論理だから、世間でも同調する人間が現われる。
これに対して反論をする側の論理構成は晦渋で、一見非常に歯切れが悪い。
その論旨は、素人受けしない。
然し、火付け役の新聞記者が、ずっと議論の展開にそって勉強を積み重ねて行くと、歯切れ良い自分の当初の主張には、大きな欠陥があり、晦渋な論理構成だが相手側の主張の方が正しい事が、次第に飲み込めてくる。
その段階で火付け役は、私が間違っていました、とは言わずに、議論を止めてしまう。
そして10年くらい経つと、前回の時にはその場にいなかった新しい人物が同じことを言って問題を取り上げる。
半年くらいも論戦をクエリ返して、今回の記者が問題を理解した段階でまた議論は終わりになる。
これが周期的に繰返していた。
どちらが正しかったかは、上記の、現在の常識を見ると明らかである。
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今回の原爆問題にも、それと同様なメカニズムを私は感じる。
本島等(元長崎市長)氏のように、「原爆投下は仕方なかった」という結論に達するまで勉強を積み重ねて行くのは、大変な時間と労力を要する。
多数の人間を殺傷する原爆を投下して怪しからぬ、の方が、遥かに分り易い。
本島元長崎市長は、天皇の戦争責任を発言するくらいの、信念に生きる人間だから、真面目に勉強を重ねたが、マスコミ人種には、それは出来ないであろう。
そこで、あの記事を読んでいる間に、私は
大学教授の特許取得問題との類似、に思いが飛んだのである。
自分が火をつけた話題が、間違っていたと、過ちに気が付いた時に「ごめんなさい」を言わない一例として、この古い話を出す、という話を変人キャズ君に話した。
それを言うならば、もっと分り易い例が有ると、キャズ君に注意された。
キャズ君の言うのは、連合赤軍事件で、一週間前までは「純真な学生たち」、と言っていた連中を、浅間山荘で一夜明けた途端に「過激派暴力集団」、と呼称を変えた件である。
それは、そのとおりであるが、まあ、単なる呼び方を変えただけでなく、
「マスコミが、如何にも尤もらしい顔をして」、という点で、この話を書いておく。
久間事件からは脱線するが、前回に引用した、{毎日新聞2007/06/03の「時代の風」:五百旗頭真、毎日新聞2007/07/11の「記者の目」欄:横田信行}、の2編の記事を読んでいて、ふと思い出した事があるので、紹介する。
いい加減な事を言っておいて、後から、自分が間違っていた事が分った時に、「ごめんなさい」は言わずに、放置してしまう、一つの例である。
社民党は、北朝鮮自身が拉致の存在を認めて後も尚、その様な事実は無かったと、党の機関紙で主張していたことが非難を浴びたが、その後も遂に、この件で世間に向けて、訂正とか謝罪とかしないままに、今日まで至っている。
しかし、これは、社会党だけのお家芸ではなく、マスコミもいつも同じ手を使う。
結局、日本人に国民性として忘れっぽくて、西欧の国々の様に執念深くないのを承知しているから、「人の噂も65日で忘れる」、のを待っているのだろう。
我々仲間のブログで、よく引用する湯川博士の言葉、『執念深いことが、科学者たる事の必要条件』を、
逆に見ると、日本で自然科学が生まれなかったのは、この様な国民性による必然だったのだろう。
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このマスコミ方式の事例の一つを、取り上げる。
佐久間ブログ{★伝統文化と常識の変遷(1) :の言う様に、
{時間が経ち、世間の常識が変化した後では『当然』のことが、或る時点では『非常識』に見える、・ ・ ・のは普通にある}、
のであるから、その事柄自身の議論を蒸し返す、というのではない。
自分が火をつけた話題が、間違っていたと、過ちに気が付いた時に「ごめんなさい」を言わない一例として、この古い話を出すのである。
久間発言事件でも、同様な経過を辿るかもしれない。
何年か後に、それが誰の眼にも明らかになった場合に、私が、このことを言っていたと、若い読者に、思い出して頂きたいのである。
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新聞流儀の一例として思い出したのは、
「大学教授の特許取得問題」、 である。
今は、大学教授が研究に励んで、特許をとるのが望ましいと考えられていて、逆に、それをしない教授はサボっているか、無能の様に思われる。
以前は、そうでなかった。
「大學教官が特許を取得するのを非難」、する新聞記事が、
何度か、A新聞の紙面に、現われた。
ところが毎回、その非難は紙面で永続しないのである。
その話題が問題として取り上げられると、同調者と反論者が現われる。
暫くすったもんだを繰返していると、やがて議論は何時の間にか静まり、忘れ去られる。
ところが10年ほどすると、また同じ問題が取り上げられて、前回と同様の議論が蒸し返され、やがてまた暫くすると、沈静化する。
これが私の記憶するだけでも、3回はあった。
必要ならば、資料が保存してある筈だから探し出すが、今直ちに手許にはないので、記憶だけで言うと、1960年頃、1970年頃、1980年頃、に夫々有ったように記憶する。
此処で問題は、何故毎回議論が沈静化したか、である。
社会が、その議論に飽きたからではない。
議論を深める過程で、言い出しっぺの新聞記者が、自分の誤りに気が付くのである。
そこで、彼は「御免なさい」、は言わずに、議論を止めて、世間に問題を忘れさせるのである。
10年もすると、前回のことを知らない別の記者が、同じことを始める。
不勉強な新聞記者が何を問題にしたかというと、
国立大学の教官は研究をするのが仕事であり、そのための設備を国に依って用意され、俸給を貰って仕事をしている。
そこでの公務の成果、として出てきた研究結果やアイデアに依って、私的に特許を獲得するのはオカシイ、という一見、尤もな主張である。
彼は大変良い話題に気が付いたと思い、鬼の首でもとった気分で居丈高な記事を書く。
分り易い論理だから、世間でも同調する人間が現われる。
これに対して反論をする側の論理構成は晦渋で、一見非常に歯切れが悪い。
その論旨は、素人受けしない。
然し、火付け役の新聞記者が、ずっと議論の展開にそって勉強を積み重ねて行くと、歯切れ良い自分の当初の主張には、大きな欠陥があり、晦渋な論理構成だが相手側の主張の方が正しい事が、次第に飲み込めてくる。
その段階で火付け役は、私が間違っていました、とは言わずに、議論を止めてしまう。
そして10年くらい経つと、前回の時にはその場にいなかった新しい人物が同じことを言って問題を取り上げる。
半年くらいも論戦をクエリ返して、今回の記者が問題を理解した段階でまた議論は終わりになる。
これが周期的に繰返していた。
どちらが正しかったかは、上記の、現在の常識を見ると明らかである。
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今回の原爆問題にも、それと同様なメカニズムを私は感じる。
本島等(元長崎市長)氏のように、「原爆投下は仕方なかった」という結論に達するまで勉強を積み重ねて行くのは、大変な時間と労力を要する。
多数の人間を殺傷する原爆を投下して怪しからぬ、の方が、遥かに分り易い。
本島元長崎市長は、天皇の戦争責任を発言するくらいの、信念に生きる人間だから、真面目に勉強を重ねたが、マスコミ人種には、それは出来ないであろう。
そこで、あの記事を読んでいる間に、私は
大学教授の特許取得問題との類似、に思いが飛んだのである。
自分が火をつけた話題が、間違っていたと、過ちに気が付いた時に「ごめんなさい」を言わない一例として、この古い話を出す、という話を変人キャズ君に話した。
それを言うならば、もっと分り易い例が有ると、キャズ君に注意された。
キャズ君の言うのは、連合赤軍事件で、一週間前までは「純真な学生たち」、と言っていた連中を、浅間山荘で一夜明けた途端に「過激派暴力集団」、と呼称を変えた件である。
それは、そのとおりであるが、まあ、単なる呼び方を変えただけでなく、
「マスコミが、如何にも尤もらしい顔をして」、という点で、この話を書いておく。
小生の記事に「久間事件・戦後を問い直す(6)」をTBして頂き、有難うございました。
小生も亦、一般の駆け出しの新聞記者と同じで、「原爆投下は悪であった」と主張する人間です。それでも、一般の記者は、貴殿の主張される本島前々長崎市長のように、「原爆投下はやむを得なかった」との心境に達することができるだけましですね。
小生などは、そのような心境までは達することはとても出来ないのですから。